コラム・エッセイ

2度目の瀬戸内国際芸術祭が終わって 小西 智都子(2014年1月1日)

今年の瀬戸内国際芸術祭が秋会期を終えた頃、男木島に朗報が届いた。休校中の男木小中学校が来春から復活するというのだ。4世帯、11人の子どもたちが島への移住を希望した。今年の瀬戸芸の来場者数は104万人。結果の評価はさておき、島では、この数字で表せない変化が、今、起こり始めている。

男木島では、豊島の島キッチンを手がけた建築家•阿部良氏の声かけで「島おこし座談会」が始まった。空き家調査を通して島の景観を守りながら島の未来を考えようと、島内外の人が想いを語り始めた。もちろん島へ帰ってくる若者たちも一緒だ。大島では高松市、島の自治会、民間有志で「大島の在り方を考える会」が発足した。入所者が最後の一人まで安心して島で最期を迎えられる環境をどう維持するか。ハンセン病の記憶を残しながら、その後の島をどうデザインするか。大島青松園の入所者は現在82人。ついに平均年齢が80歳を超えた。

島間交流も始まっている。瀬戸芸初参加の伊吹島では、会期前に島のお母さんたちが男木島を表敬訪問。お返しに男木のお母さんたちも伊吹島を訪れた。伊吹島と男木島は急坂の東西横綱、互いの島を初めて訪れて、こんな急坂ではよう暮らさんと言ったとか。島の人が他の島へ行くこと自体、今まであまりなかったことだ。

瀬戸芸に参加しなかった島だって負けてはいない。人口24人の志々島と14人の牛島は、共同でオリジナルTシャツを作って存在感をアピール。広島では、学生グループcocokaraが20年ぶりに島の祭りを復活させた。コンビニもオシャレなカフェもないこの島を、学生たちは「トトロの島」と呼ぶ。

長らく止まっていた針が動き出したように、どの島も少しずつ何かが変わり始めている。島には都会では得られないお宝が眠っている一方で、課題も山積。もはや島だけでは解決できない。ある長老は「島で暮らすだけで精一杯なのに、自分が死んだ先のことまでよう想像せん」と嘆く。困っているご近所さんを前に、私たちは何ができるだろう。それはそう遠くない自分たちの将来の姿でもある。瀬戸芸の意味を問うなら、これからが本当の本番。まさに私たちの民度が問われている。

せとうち暮らし編集長

名文を読め、見出しから書け、行数を死守せよ。 明石 安哲(2014年1月1日)

ひょんなことから文章入門講座を引き受けた。講座は3回、生徒は20人。人生の大半を原稿を書いて過ごして来たのだから、書き方くらい教えられる人になっていても不思議はないのだが、現実はそうではない。自分で書くことと、それを教えることは、恋愛をすることと、その手引書を書くくらいの隔たりがある。

二つ返事で引き受けて一番にやったことは、古今の名文家は文章についてどんなことを語って来たのかを調べること。さっそく通販サイトで「文章読本」を検索した。すると、あるわあるわ、読むだけで人生が終わってしまいそうなほどある。この分だと恋愛作法を学んでいるうちに適齢期を過ぎてしまいそうだ。どうせ読めないだろうけど、手元にあればひと安心。なので、どんどん注文した。1週間後、机の上には計12冊の「文章読本」が並んだ。もう講座は成功同然。告白を前に恋愛マニュアルに埋まって眠る少年の気分。もうゼッタイ大丈夫。

ところで文章読本というタイトルで手引書を書いたのは、かの文豪谷崎潤一郎が最初だったらしい。よほどインパクトがあったのか、その後、次々に同じタイトルを掲げた手引書が出た。そしてついには斉藤美奈子著『文章読本さん江』(筑摩書房)などという、おちょくったタイトルの解説本まで出る始末だ。

これは文章の手引書ではなく、手引書の手引書である。まず文章読本界の御三家と目されるのが、先述の谷崎に加えて、三島由紀夫『文章読本』、清水幾太郎『論文の書き方』の三冊だとある。とうぜん御三家と来れば、新御三家もある。本多勝一『日本語の作文技術』、丸谷才一『文章読本』、井上ひさし『自家製 文章読本』である。もちろん、みんな買った。2つに分けて積み重ねてもかなりの高さ。これで枕を高くして眠れる。

さあ準備万端、いや、実はちっとも読んでないけど、そんなことはどうでもいい。講座の中身は最初から決まっている。自分にできないことを教えても意味はない。第1回は「名文を読め」。 古来の文章家はみな先達の名文を手本にした。名文を書くには名文を読むこと。模倣こそ正しい第一歩。第2回は「見出しから書け」。メリハリの利いた文章を生み出すための最も簡単で最も難しい技。人の心を惹き付ける言葉を見つけ出す。第3回「行数を死守せよ」。規定の行数に納める努力、つまり削る力こそが文章力を鍛える。この3つが文章上達のすべてだと信じている。でもやっぱり、恋は語るより、する方が楽しい。歌ってなんぼ、踊ってなんぼ、と心得るべし。

アーツカウンシル高松理事長

エバンジェリスト=夢を見る天才 明石 安哲(2011年11月29日)

2011年10月5日、米Apple社のCEO・スティーブ・ジョブズが亡くなった。56歳だった。

21歳でガレージから起業して35年後にApple社を世界最大のIT企業に成長させた。その間、一貫してパーソナル・コンピューターに関わり、彼が生み出した製品は次々に世界を変えていった。AppleII、Lisa、Macintosh、iMac、MacBook、iPod、iPhone、iPad。その登場はいつも私たちを驚かせてくれた。

10月19日付「ニューズウィーク日本版」は彼の写真を表紙に掲げて「アメリカの天才」とタイトルを付け、2週にわたってApple社の歴史とスティーブ・ジョブズの業績を振り返って賞賛し、哀悼の意を表した。確かに伝説の名機「AppleII」を世に送り出すには天才を必要とした。しかしジョブズはプログラムの天才ではなかった。ハードウエアのエンジニアでもなかった。

プログラムの天才はほかにいた。彼と一緒にApple社を創設したもう一人のスティーブ、スティーブ・ウォズニアックだ。愛称ウォズはたった一人で基盤設計からOSまですべてを創造して、世界最初の本格的なパソコンを作り上げた。ICチップを効率的につなぎ、信じられないほど洗練されたプログラムを書き上げて、「ウォズの魔法使い」とも呼ばれた。

ではジョブズは何をしたのか?

彼は夢を見る天才だった。夢では失礼かもしれない。他人には夢にしか思えない未来の物語でも、彼には明確なビジョン(未来像)だった。彼はウォズが生み出した新しい電子回路が世界に何をもたらすのかを明確に理解していた。ウォズ自身より遥かに深くその仕事の意味を理解していた。彼は製品化するために必要な人材を集め、資金を集め、製品の素晴らしさを宣伝して時代を切り開いていった。AppleIIは600万台売れ、世界は一変した。大型ホストコンピューターで世界を牛耳ってきたIBMなど巨大企業の時代の崩壊を告げる出来事だった。

彼は天才的エバンジェリストだった。

英語で「evangelist(エバンジェリスト)」とは宗教の福音伝道師のことを指す。Apple社ではApple製品の熱心な信奉者の中から幾人かが選ばれて、半ば仕事としてApple製品の宣伝活動を展開し、エバンジェリストと呼ばれていた。Apple教の最高の信奉者はジョブズ自身だった。彼は新技術を理解しながら、技術者だったことは一度もなく、大衆が次に何を望むかを理解しながら、一度も大衆的だったことはないという不思議な人物だった。

まだだれも見たことのない世界を想像し、その素晴らしさを確信し、それを人々に伝え、世界に新しい一歩を踏み出させる人。アーツカウンシルも夢を見る天才でありたいと思う。

写真

嫌いなんだよなあ、アンケート 上村 良介(2011年11月29日)

わたしは芝居をやっている者だが、上演後、だれかれに「どうだった?」と訊いたことがない。本人の前だ、訊けば褒めるに決まっているし、もし苦情があったらこちらとしても反論したくなる。そんなことで議論するのはゴメンだ。言い訳と受け取られるやも知れぬ。そうなったら醜態だ。

だから本来ならアンケートなんてものも取りたくないのだが、スタッフ、キャストの強い要望でシブシブ実施している。まあ制作サイドでは、次回の案内ハガキを郵送するためという大義名分があるから、わたしとしてもムゲにできない。

まあ、だいたいからしてあんなものはどうでもいいのだ。

作品の良し悪しも至らぬところも、わたし自身がいちばんよく知っている。もちろん褒められてうれしくないわけはないが、「内容が暗い」だの「人が死にすぎる」なんてのがあると(ま、うちはそういうのが多いのだが)、バカヤロー、そんなに明るくて人畜無害のものが好きなら、テレビのバラエティでも見てやがれといいたくなる。

ましてや「作者の死生観が如実に表現されている」だとか「この群像劇は日本という国家の暗喩である」なんて、こざかしい「評論(らしきもの)」を長々と書かれると、ケッ、となる。

なるほど、うちの芝居は基本エンターテイメントだが、わたし自身の秘した目論見もないわけではない。そこを読み解かれると「ううむ、こやつデキるな」となるが、たいていは見当違いのお粗末な評論もどきだ。こういう手合いにはウンザリする。

ひとつには若かりし日、大島渚やゴダールの映画を観て小理屈をコネていた自分自身の分身を見るような気がするからだ。もちろん当時のわたしはこいつらよりもはるかに優れた評者だったけどな。

もっとも、気持ちのいいアンケートというのもあるにはある。「元気が出た」「わたしも明日からガンバリます」というのがそれだ。どんな悲劇であろうと、暗い作品であろうと、芝居の第一の効用はカタルシス、精神の浄化にある。

わたしにしたところで、芝居に限らず、いいものを見たあとは気持ちが高揚して「オレもやるぞ」という気になる。芝居もまた、そういう具体的な衝動を喚起できてナンボの世界なのだ。

高いチケットだ。ならばお客さまの元気に少しでもお役に立てれば、代金を支払ったカイもあろうというもの。

さて、モロ宣伝ですが、11月の25日より3日間、サンポートの第1小ホールで新作「山の王」を上演いたします。マチネ(昼公演)を入れて5回の公演です。ぜひともご来場の上、アンケートには「元気になった」とお書きください。わたしが喜びます。

(劇団銀河鉄道主宰)

讃岐うどんはLinux 明石 安哲(2010年11月10日)

作家の村上春樹さんが服飾専門誌に「讃岐・超ディープうどん紀行」を執筆して20年、今やうどんと言えば讃岐というのは日本全国共通の常識だ。香川県内のうどんブームをリードしたのは麺通団率いる田尾和俊さんだが、全国版ブームは村上さんの紀行文がきっかけかもしれない。

さすがノーベル文学賞候補、触れるものがみんなゴールドとまでは言わないが、その目線の確かさには驚く。あの時代に書かれたうどんエッセイとしては他を寄せ付けない超一級品だ。アメリカのディープサウス(深南部)で食べるナマズフライの驚くべき味わい、イタリアに住んでワイナリー巡りを続ける中で知ったキャンティ・ワインの驚くべき味わい、それと同レベルで語られる讃岐うどんの驚くべき味わいは全国の春樹ファンに強い印象を残したに違いない。

村上さんのエッセイは見事だが、不満な点もないではない。あの幾度となく繰り返される永遠なる質問、「なぜ讃岐うどんは美味しいのか?」の考察がない。なぜ讃岐とともに三大うどんと称せられた秋田の稲庭うどん、群馬の水沢うどんは全国レベルにならないのか?小麦?塩?水?どれをとっても讃岐に地の利はない。なのになぜ讃岐なのか?原料、環境、風土に何の利点もないのに、なぜこれほど美味い安い早いの超絶フードが誕生したのか?

その答えのヒントは讃岐うどんが一子相伝の秘伝に守られた稲庭うどんとは正反対に、うどん屋と客の知識とアイデアを自由に集大成して成立したことにある。名物料理の多くは秘伝のタレや食材に寄りかかって商売するが、讃岐うどんに秘伝はない。たとえあっても、みんなが知れば秘伝にならない。何しろあちらこちらに各種格安のうどん学校があって、何十年もかけて生み出した特別な技法を脱サラ青年に簡単に教える。

うどん研究者たちも研究成果をどんどん無料で発表する。あらゆるうどん屋と客のあらゆる経験をあらゆる人々が共有する。伝統に安住してたらたちまち廃業だ。讃岐の猿真似とからかわれても讃岐人は平気で人まねをする。美味しい工夫は誰の発案でも受け入れる。客の要望には何でも応える。どんな風変わりなトッピングでも平気で並べる。

つまり讃岐うどんはLinux式なのだ。Linuxはネット文化を背景に著作権を主張せず世界中のプログラマーの知恵を集大成して作られたオープンソースOSである。著作権で世界を征服したWindowsとは正反対。もちろん稲庭うどんはとても美味しい。しかしいつでもどこでもだれでもは食べられない。100円でなく2000円だったら、讃岐うどんは革命にはならず、村上さんに筆を執らせることもなかっただろう。讃岐うどんはオープンソース革命なのだ。

(ACT理事長)

差別なんて知らないよ 上村 良介(2010年11月10日)

おっとっと、ちょっと過激なタイトルをつけちゃった(笑)。

先日うちの劇団はガルシア・ロルカの「血の婚礼」に想を得て「BLOOD」という作品を上演した。台本を書き上げたときから、わたしは「こりゃあ来るな」と予感していた。やっぱり来た。

アンケートのなかの一通に「人殺しの血筋という表現は差別につながる」とあったのだ。いるんだよねえ、たまにこういう人が。ま、もっとも「芝居そのものは素晴らしかった」と前置きがあったから、わたしもムッとはしなかったが、逆にだからこそ困ったもんだと暗澹たる気持ちになった。

はじめにお断りしておくと、わたしは「差別」に対しては激しい怒りをおぼえるタチである。だがそうとはいえ、物語をつくるうえで差別は避けて通れないということも実感している。

なぜなら舞台が世界の写し鏡なら、世界は厳然と差別を内包しているからだ。そこに目を閉ざし、キレイ事で物語をつくるのは、それこそ偽善であり、書き手としての不誠実につながる。

わたしの書く芝居には差別用語とされるセリフがしばしば飛び交う。これはひとつには言葉狩りに対するプロテストであるが、もうひとつはそういう言葉を「ない」ものにすることによって、本質を覆い隠そうという世間一般の風潮を苦々しく思っているからだ。

いうまでもなく差別というのは、西欧の平等主義から発している。だが多くの輸入思想と同じく、日本人は金科玉条のごとくそれをうやうやしく頂戴した。その原則にことさら忠実であろうとした。

そこで起きたのが無階級社会というとてつもない幻想だ。そんな社会がどこにある。バカバカしいにもほどがある。それはたしかに理想かもしれないが、現実を直視すればその理想がいかに突拍子のないことかがわかるはずだ。

わたし自身、アタマは悪いし顔も悪い。体型にしたところでチビ、デブ、ハゲで、大いに差別を受けている。世のなか頭脳明晰、容姿端麗な男子が多くいるなかで、これは不平等ではないのか。

こと話を芝居に戻すなら、差別を演じてはいけないというのなら、シェイクスピアの作品はほとんど上演不可能となろう。「ベニスの商人」はあからさまなユダヤ人差別だし、「オセロ」や「リア王」には黒人差別、老人差別の文言がイヤというほど書き込まれている。

芝居は差別であふれているのだ。暴力も戦争も、だ。ありとあらゆる悪が描かれてこそ芝居は「豊饒」を得ることができるのだ。芝居にモラルを持ち込んでどうなる。そこには「痩せた物語」しか見つかるまい。

もっといえば差別こそが文化のみなもとなのだ。なるほど差別は忌むべきコトかもしれないが、それがなければ芝居(つまりはすべての表現がだ)の世界はどんなに味気ないことか。

(劇団銀河鉄道主宰)

全国「人名のような地名」大集合 田尾 和俊(2010年11月10日)

上村さん、何書くんかなあ。こないだは遊ゼミで「議論好き」のスイッチが入ったみたいだし(笑)、何かふっかけてくるんかなあ。明石さんは何書くんかなあ。たぶん難しい話書くんだろうなあ…とか。

私はたぶん本質が「マーケティング屋」だから、書いたりしゃべったりするのを頼まれたら必ず「市場」「競合」「自社」を考えてしまうのである。

「市場」とは、ここでは「読者」のことである。このコラムはいったい誰がターゲットで、誰に向かって何を書いて、読者にどうなってもらいたいのか、どう感じてもらいたいのか、さらにこの瓦版の目的は何で、私はこの原稿で何に貢献すればいいのか…みたいなことを、一応考えるのである。で、そこが決まらないと何を書いたらいいのかが決まらない。

「競合」とは、同じくコラムを書いている上村さんと明石さんである。ま、別に敵ではないけど(笑)、編集者の視点で言えばこんな小さな媒体に3つもコラムがあると何らかの共通性が必要だろうし、その共通性の中で三者三様の何らかの差別化も必要になってくる。そこが決まらないと何を書いたらいいのかが決まらない。

「自社」とは、私の能力である。これがないと、とても人前に出せる「商品」にはならない。だからいつも原稿催促係のO野さんに「誰か代わりの人に書いてもらって」とお願いしているのである。そういうわけで自分の中で未だどのコンセプトも決まらないままなので、今までの原稿も今回も、そんな曖昧な気持ちで書いています(笑)。

さぬき市に「造田是宏」という地名があるのですが、それを見て「これは“人名のような地名ランキング”全国1位ではないのか?」という疑問が生じたため、大学で作っているフリーマガジン『インタレスト』で「全国の人名のような地名」を集めてみました。相変わらずのオバカ企画(笑)。そしたら、結構すごいのがどんどん発見されまして…。いくつか紹介すると、

高知県高岡郡越知町「鎌井田清助(かまいだせいすけ)」
青森県八戸市「中居林彦五郎(なかいばやしひこごろう)」
京都市伏見区「向島又兵衛(むかいじままたべえ)」

その他、戸田ゆたか、福田あかね、北村豊正、高野由里、中畑タコ子(笑)等々・・・むちゃくちゃおもろい人名のような地名が60人以上発見されました。爆笑コメント付きで12月1日発刊予定です。入手希望者は割烹「遊」まで(笑)。 

(四国学院大学教授)

テーマなんて知らないよ 上村 良介(2009年11月15日)

話題が創作の方法論に移った。

彼はしきりと「テーマを巡って」とか「テーマに従って」という言葉をクチにする。

そのうち「あなたはどうなの」と聞かれたので、わたしは「オレ、そういうこと考えたことないッス」とボソッと答えた。センセイは呆れた顔をした。

じっさい、わたしは台本を書きはじめる際、テーマなんか決めたことがない。ただ書きたいシーンがあって、そこから面白いほうへ、面白いほうへとストーリーをころがしていくだけだ。

はじめて銀河鉄道の芝居を上演したとき、ラジオの取材を受けた。

最初は快調に受け答えしていたのだが、しばらくして記者が「ところでこの作品のテーマはなんですか」と訊いてきた。わたしは突然うろたえてしまった。

わたしは「ごめんなさい。ちょっとトイレに」とことわって、慌てて楽屋に向かった。

役者連中に「おいおい、この芝居のテーマってなんだっけ」と訪ねると「友情じゃないですか」とか「生きるとはどういうことか、だと思うんですが」などという答えが返ってきた。

エライ! おまえたちってスゴイなあ。

わたしはとって返して、記者にいま聞いたことをそのまま話した。

だがわたしにテーマがなんにもないのかというと、そうでもない。何作か書いているうちに、わたしはわたしのテーマを背負っているということに気がついた。

わたしは同じことを手を変え品を変えいっているのだ。

それは組織論であり、死生観なのだが、それを話すと長くなるので、そこは省略。

つまりテーマなんてのは、自分なかに常に内在しているもので、表現という行為におよべば自然とあふれでるものなのだ。

だからあらかじめテーマなどというのは設定しない。

こういうわたしであるが、たった一度だけ最初からテーマを決めて書いた作品がある。

それは一昨年ニューヨークに行って、911のグランドゼロに立ったときだった。21世紀の病いたるテロの話を書こうと決心した。

それも先進国から見たテロではなく、テロに走らざるをえない虐げられた側からのテロリズムとはなにかということであった。

こうして書いた作品は「世界の果てまで連れてって」という題名で上演された。

賛否のある作品になった。

ある人はわざわざ電話をくれて「あなたはテロを賛美しているのですか」と訊いてきた。わたしは「哀しみについて書いたんです」と答えた。

さて、今年は11月の21日、22日とサンポートホール高松の第1小ホールで「BAD」というミュージカルを上演します。

天保年間の江戸を舞台にした、ワルどもの跋扈する痛快時代劇です。でも娯楽作品のうちにも秘めたテーマはあるのです。たぶん(笑)。

見極めたくば、どうぞお足をお運びのほどを。

フェルメールとベンチャーズ 明石 安哲(2009年11月15日)

ヨハネス・フェルメールは17世紀オランダで活躍し、今では世界中に数多くのファンを持つ超人気画家である、と私は長らく信じていた。その確信に疑惑の影がさしたのは、数日前にロンドンから帰ったばかりという友人の一言だった。

 「ナショナルギャラリーでね、フェルメールをたっぷり見てきたわよ。日本だと押すな押すなの大騒ぎだからね。よかったわよ。あの青は最高」。

確かにフェルメールの青は絵画史の中でも特筆すべきものがある。フェルメール・ブルーと呼ばれ、時には“天空の破片”とも呼ばれるこの青い絵の具は、ラピスラズリという非常に高価な鉱石を原材料とし、それをふんだんに使ったためにフェルメールは多額の借金を残したとまでいう人もいる。確かにあの青の美しさはただ事ではない。

しかし私をさらに驚かせたのはもう一人の友人の言葉だった。「そうですよね。やっぱりフェルメールはゆっくりがいいですよね。ぼくも去年の暮れにメトロポリタンで特別展示があった時、一日ゆっくり見てきました。展示室にぼくだけなんて時間もありましてね」。フェルメールをゆっくり、たっぷり、展示室にただ独りなんてことは、現代日本人にとってただ事ではない。

その時である。不審な思いが頭をよぎった。もしかするとフェルメールってザ・ベンチャーズなの?

実は日本の若者音楽に衝撃的かつ根本的な影響を与えたエレキの王様ザ・ベンチャーズは日本での絶頂期においてすら、米本国では人気がなく、日本だけの外国人アイドルだったのである。日本でのコンサートは超満員でも、米国では散々だった。

もしかするとフェルメールも、という疑念は調べるごとに霧と消え、彼は間違いなく世界の巨匠の一人だが、日本での人気ぶりは尋常ではない。パンダに群がり、モナリザに群がり、ベンチャーズに群がった日本人がいまフェルメールに群がっている。

しかしそれは悪いことではない。The Venturesは1959年に結成、何度もメンバー交代を重ねながら、今年50周年を迎えてなお日本で人気を保ち、その功績でとうとう米本国でロックの殿堂入りを果たした。マスコミの影響はあったにせよ、日本人が独自の価値観で取捨選択した結果が、世界に認められるのは悪いことではない。自らの耳と目と頭で自分たちのアイドルを生み出す。この力があれば私たちは幸福になれる。
(アーツカウンシル高松副理事長)

43年目の花嫁を寿ぐ 明石 安哲(2009年4月25日)

もしあなたが43年前に突然姿を消した婚約者と再会してプロポーズされたら、どうするか。年齢のことはさておき、必ず迎えに来ると書かれた手紙を信じてその日を待っていた人なら、恐れも疑いもせず人生の一歩を踏み出すに違いない。が、そんな人は稀だから、大方は疑心暗鬼のうちに、なぜこんなに長く放っておいたのかと恨み言を並べるに違いない。それでも二人が結婚すると決めたら、ごたくを並べず祝福するのが友だちというものだ。

この4月にリニューアル・オープンした香川県文化会舘の外壁に掲げた「香川県漆芸研究所」の蒟醤製看板を眺めながら、43年目の花嫁をどう祝福すべきだろうと少し悩んだ。1966年の竣工オープンから半世紀近くを経て、文化会舘は本来の設計趣旨に沿う「漆芸館」として再スタートした。20世紀日本建築界の巨匠のひとりに数えられる大江宏が設計した和洋折衷様式の同館は、県内では貴重な総ヒノキの舞台を持つ芸能ホール(233席)や本格的茶室も備え、誰がどう見ても伝統工芸館というべき施設だった。それが複雑な事情から「総合博物館」として登録され、「現代美術館」として使われたことが間違いの始まりだ。

茶室にテーブルを持ち込むような不幸な顛末について同館の設計を依頼した当時の知事、故・金子正則さんから直接、話を伺ったことがある。金子さんはいずれ本格的な現代美術館を建設したら本来の漆芸館にと思っているうち知事の座を下りてしまった。その後は瀬戸大橋、新空港、高速道路など巨大公共投資に資金を奪われ、やっと順番が巡ってきたらバブルが弾けて新美術館もうたかたと消えた。もう永遠に誰も迎えに来ない、と花嫁が諦めかけたその時、突然の嵐がやってきた。リストラの嵐。

世は不思議の重なりあい。財政難で消えた漆芸館の夢が、超のつく財政難のおかげで突然蘇る。県歴史博物館を中核に美術部門まで含む文化展示施設をすべて併合するという超リストラ計画が出現し、その破壊的な見直し案の勢いが移転計画がとん挫して高松工芸高校の敷地に押し込められていた漆芸研究所を表舞台に押し出し、県文化会舘と手を携えての再出発につながった。

耐震工事も含め4億6千万円。新しい県文化会舘は讃岐漆芸の歴史的傑作を常設展示する一方、蒟醤、存清、彫漆など3大技法の講座実習まで自由に見学できる。不足を言えば切りはないが、現財政下ではほぼ満点。43年ぶりの花嫁。体はともかく心に皺はないだろう。その門出を心から祝福したい。
(ACT副理事長)
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